W杯「美しいゲーム」が直面する醜い現実 観客から差別的野次

FIFAはメキシコの伝統について懸念を抱いている
By Liam Griffin – The Washington Times – Monday, June 8, 2026
ワールドカップ(W杯)を巡る広告では、サッカーは「美しいゲーム」として、世界中の選手や観客を結び付ける力を持つスポーツであることが強調されている。その一方で、ファン文化には醜い側面もあり、大会主催者は米国、メキシコ、カナダのスタジアムから人種差別的、同性愛嫌悪的なチャント(声援、掛け声)を排除しようと懸命に準備を進めている。
メキシコでは、代表戦でたびたび問題となってきた同性愛嫌悪的なチャントをなくすための取り組みが行われている。他の開催地では、黒人選手に向けられることの多い人種差別的な暴言を防ぐための制度が導入されている。
こうした取り組み自体は新しいものではないが、サッカーの国際統括団体である国際サッカー連盟(FIFA)は、6月11日から7月19日まで行われるW杯を前に対策を強化している。
ジョージ・ワシントン大学大学院スポーツマネジメント課程の責任者リサ・デルピー・ネイロッティ氏は「彼らは13年間にわたり、観客が不適切な言葉を叫ばないようにしようとしてきた。これまで一定の進展はあったが、多くのスポーツファンにとって、こうした表現は試合で感情を表す手段として根付いている」と語った。
同性愛嫌悪的なチャントをなくす取り組みは、13試合が開催されるメキシコで特に注目されている。
問題とされる言葉は男娼を意味する俗語で、相手チームのゴールキーパーがゴールキックを蹴る際にスタジアム中に響き渡ることが多い。観客席から低いうなり声のように始まり、最後は大合唱となる。
メキシコ市在住で長年の代表チームファン、ヨルティク・ミハンゴス氏は「このチャントの目的は相手チームにプレッシャーをかけることだが、文化的な意味合いもある。ファン同士が一体感を共有する手段でもある」と語る。
このチャントは相手を威圧するためのもので、多くのサポーターは性的差別の意図はないと主張する。問題の単語にはさまざまな用法があり、英語に直接対応する表現は存在しない。
一部のファンは、LGBTQ活動家らが懸念するような同性愛者への敵意は持っていないと語る。
ミハンゴス氏は「多くのメキシコ人ファンは必ずしも同性愛嫌悪の意図で使っているわけではない。彼らにとっては試合を盛り上げる伝統的な応援の一種だ」と述べる一方で、相手を男らしくないものに見せようとしたり、恥をかかせたりしようという意図はあると指摘した。
しかし、今年の大会でこれらのチャントをなくしたいと考えているFIFAやLGBTQ活動家らは納得していない。
昨年12月、米メジャーリーグ・サッカー(MLS)の元ゴールキーパー、マシュー・パシフィシ氏はアムネスティ・インターナショナルの声明でこう述べた。「カミングアウトした選手として、安全かどうか分からない環境で競技することがどういうことかを知っている。LGBTQ+の選手やファンには、保護の必要性を示すだけでなく、実効性のある措置が必要だ」
ネイロッティ氏は「観客自身も、自分たちの言葉がどれほど問題なのか理解していない場合がある。この取り組みによって、もはやそうした行為は許されないのだという認識が広がればいい」と語る。
観客の差別的な行動はFIFAの収益にも影響する。FIFAは2023~26年に130億ドルの収益を見込んでおり、104試合の大会には550万人以上の観客が訪れると予想している。
「放映権料やスポンサー収入が莫大なので、試合の中断、延期、中止はシステム全体に大きな混乱をもたらす」とネイロッティ氏は述べた。
メキシコはホスト国であり、参加国でもあり、取り組むべき課題は多くある。
■「チャントではなくウェーブを」
2014年以来、この同性愛嫌悪的なチャントはメキシコ代表の試合で繰り返し問題となってきた。2018年、2022年のワールドカップでも発生し、ピッチ脇のマイクが拾い、放送局が音声を消さなければならないこともあった。
6月2日には、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が、メキシコサッカー連盟に対し総額17万8000ドルの罰金を科したFIFAの裁定を支持した。
CASは声明で、「観客の行為は集団的かつ広範囲に及んでおり、単発的な事例ではなかった」と指摘した。
しかし金銭的制裁でもこういったチャントは消えていない。観客なしで予選を行う措置も効果を上げなかった。
それでも当局は取り組みを続ける。
今大会ではFIFAが「中立監視員」を観客席に配置し、行動規範違反を監視する。監視員は、違反者を退場させる権限を持つ。
またメキシコサッカー連盟は、チャントの代わりに「ウェーブ」を行うよう呼び掛けるキャンペーンを展開している。
スタジアム全体で行うこの応援パフォーマンスは、1986年メキシコ大会で人気となったことから「メキシカンウェーブ」として知られる。
キャンペーンには現代表監督ハビエル・アギーレ氏や元代表選手のウーゴ・サンチェス氏、マヌエル・ネグレテ氏らが参加している。
連盟は声明で「このキャンペーンは、FIFAの制裁対象となる差別的チャントではなく、ウェーブで代表を応援する重要性をファンに認識してもらうことを目的としている」と説明した。
もっとも、こうした禁止運動が逆効果になる可能性もある。ミハンゴス氏によれば、このチャントは、激化したり、衰退したりを繰り返してきた。
禁止しようとする動きが、かえって注目を集めてしまう「ストライサンド効果」を生むこともあるという。米歌手バーブラ・ストライサンドさんが自宅の写真を隠そうとしてかえって拡散してしまったことからこう呼ばれるようになった。
「特にメキシコ代表戦ではなくならないと思う。むしろ禁止しようとすることで、FIFAや連盟をからかう目的で使うファンが増えたように見える」と同氏は語った。
■人種差別
メキシコのファンだけがFIFAを悩ませているわけではない。観客や選手からの人種差別的な嫌がらせの増加を懸念するFIFAは、黒人に対する差別発言に対応する制度を導入している。
W杯では、選手、審判、大会関係者は差別的発言を聞いた場合、両腕を交差させて「X」のサインを出すことができる。その場合、審判は直ちに試合を中断し、事実確認を行う。
差別行為が続けば試合は一時停止され、両チームはロッカールームへ退避する。
それでも続く場合、主審は試合を打ち切る。FIFAは差別行為を行った観客を特定し、そのチームを没収試合負けとすることができる。さらに各国連盟には、FIFAの罰則規定に従って最大600万ドルの罰金が科される可能性がある。
主催者はそこまで事態が悪化しないよう、差別的発言や侮辱的ジェスチャーを行った観客を退場させる方針だ。
ただし問題は観客だけではない。ピッチでの選手同士の差別的言動への懸念も高まっている。
2月のチャンピオンズリーグでは、アルゼンチンのジャンルカ・プレスティアーニ選手が、レアル・マドリードのビニシウス・ジュニオール選手にユニフォームで口を覆いながら差別的発言をしたとして6試合の出場停止処分を受けた。
プレスティアーニ選手は今年アルゼンチン代表の親善試合に出場したが、W杯の代表メンバーには選ばれなかった。選ばれたとしても、FIFAの規定によって、トーナメントの最初の2試合には出場できなかった。
FIFAは対戦相手との口論中にユニフォームで口を覆う行為に対し、審判がレッドカードを提示できる権限も与えている。
こうした制裁がどこまで有効なのか、またXのサインが出た場合に選手がそれに素直に従うかどうかは未知数だ。
ネイロッティ氏は「中には不正を働く選手もいる。『規定がうまく働くかどうかを見たかったり、ただ休憩したかったりしただけで手を上げる選手が出るのでは』という声もネット上には数多くある。不適切に利用されないことを願うが、どうなるか見守りたい」と語った。
メキシコではこれまで、FIFAやメキシコサッカー連盟が警告を出しても、一部の熱狂的な観客らがよく使う差別的な野次を抑えることはできなかった。罰金を科しても完全にはなくならず、観客の試合観戦を制限しても同様だった。
FIFAは、W杯で差別的スラングを使用した観客に対して刑事告発も検討するとしている。メキシコでは、黒人や同性愛者など特定集団に対するヘイトスピーチは犯罪とされている。
その脅しが効果を発揮するかどうかは、メキシコが11日に南アフリカとの開幕戦を迎えれば明らかになる。
ミハンゴス氏は「正直なところ、どうすればこれらのチャントを止められるのか、私には分からない。実際、どのような制裁が科されようと、完全になくなることはないと思う」と語った。

