バイデンのイランへの屈従
By Editorial Board – The Washington Times – Wednesday, February 9, 2022
「思慮」という言葉は、さまざまな意味を持つ。人に不快感を与えないようにする振る舞いばかりではなく、体験に基づく判断を表している。だが現在の国際情勢への米国の対応に照らして見ると、その微妙な違いは消えてなくなる。バイデン大統領の、消滅寸前のイラン核合意をよみがえらせようとする試みは、彼の物乞い的弱腰の姿勢で貫かれた半世紀にわたる高級官僚の立場で行った政治活動と結び付いている。
国務省は4日、米国がイランの核開発計画に科していた経済制裁を撤回したことを明らかにした。これは、2015年イラン核合意の復活に貢献することを期待しての措置だ。核合意は、当時のオバマ大統領が署名したが、2018年に当時のトランプ大統領が離脱、イスラム政権による核兵器の追求の道を止めることはできていない。米国の外交官らは、この動きを「譲歩」と呼ばず、「思慮の政策」と表現している。
いずれにしても、制裁解除はイランにとっては大勝利だ。海外に凍結されている資金290億㌦をイランが入手できるようになるからだ。また、他の国々に、イランの核計画完成への支援を許すものでもある。イランは平和目的だと主張するが、伝えられるところによると、核爆弾製造に必要な濃度のウランを数週間で製造できるという。よほどおめでたい人でない限り、核兵器開発を目指していると言われても驚きはしない。
バイデン氏は、オバマ氏が匹敵するしっかりした合意を交わしたいと思っているのだろうが、イランを支配する強硬派のムラー(イスラムの宗教的指導者)らは、バイデン氏をカモぐらいにしか見ていない。バイデン氏は、アフガニスタンで冷徹なタリバンの圧力に屈し、パニックの中で降伏し、大混乱の中で米軍を撤退させた。これは、米軍史上最も恥ずべき大失敗とされている。
世界中に散らばっている他の敵対者らも、バイデン氏の「思慮の政策」に、付け込むチャンスを見いだしている。手っ取り早く言えば、プーチン大統領は、ウクライナの国境地帯に軍隊を配備し、北大西洋条約機構(NATO)入りを阻止し、ソ連時代の緩衝地帯へ戻すことを目指している。中国の習近平国家主席は、かつて自由だった香港を掌握し終え、以前から懸念されている台湾侵攻への準備を進めている。
北京五輪が終わった途端、どちらかが――または、両方が、それぞれの軍隊を解き放つ可能性があるという臆測が飛び交っている。両首脳は、自国の国境の安全を確保しようとしないバイデン氏には、他国で侵略が起きてもそれをとがめる道徳的権限はないと考えるかもしれない。
バイデン氏の屈従は、オバマ氏の平和論の正当性を否定した「アラブの春」を象徴する混乱を歯止めの利かないものにしている。それは、最近のトランプ氏の談話による力強い振る舞い方とは著しく対照的なものである。彼を最も厳しく批判するものでさえ、トランプ氏が国家のかじ取りをした時、世界がより穏やかで、平和だったことを否定できないでいる。
米国民は、この違いを感じ取っている。そのため、(世論調査収集サイト)リアル・クリア・ポリティクスによると、大統領の外交政策に対する承認率は37%という悲惨なものになっている。
「用心は勇気の大半」と言われる。しかし、バイデン氏がイラン政府に対して行った譲歩に似た思慮は、「弱さが軽蔑を招く」という言葉を思い起こさせる。