脱北映画「ビヨンド・ユートピア」、アカデミー賞落選が波紋
By Andrew Salmon – The Washington Times – Sunday, March 24, 2024
ソウルの学校の講堂で3月中旬、わずか55㌔北で起きている悲劇を取り上げた力強く、悲惨なドキュメンタリー映画を見た子供たちや親たちの間からすすり泣きが起こっていた。
昨年10月に公開された「ビヨンド・ユートピア脱北」は、アカデミー賞ドキュメンタリー部門の候補に選出されるとみられていたが、驚いたことにノミネートされなかった。受賞式までの間、この映画は、この映画に携わった人々、この映画を非難する人々問わず多くのアジア系米国人の間で論争を巻き起こした。
オスカーの落選に製作者らは失望しただろうが、これはこの映画のテーマにとってはさらに重大な意味を持つ。
新型コロナウイルスの大流行以来、北朝鮮と中国の国境から韓国まで脱北者を密かに運ぶ「地下鉄道」は、かつてないほど頼りなく、危険になっている。この映画は、製作者に危険が及ぶことも顧みず、主にスマートフォンの映像を使い、北朝鮮の家族、ノ一家(親2人、娘2人、祖母1人)が、孤立し、監視の厳しい国から脱出する姿を追う。
活動家の韓国人牧師キム・ソンウン氏と、人身売買や密入国を仲介する「ブローカー」によって、一家は北朝鮮と中国の国境付近の山岳地帯を越え、隠れ家に一時避難する。一家は中国の高速道路を通り、ベトナムの裏道やラオスのジャングルを抜け、メコン川を渡って民主的なタイに渡り、自由を手に入れる。
映画の中では、祖母が薄型テレビを黒板だと思うなど、家族の驚く様子が詳細にとらえられている。また、子供が北朝鮮の指導者、金正恩氏を称賛するシーンなど、いかに北の体制による刷り込みが徹底しているかを示す場面もある。ユーモアあり、恐怖あり、苦難と希望も描かれている。
困難を乗り越え、脱北を成功させたノ一家の物語とともに、胸が痛むような悲しい物語も描かれている。ソウルに住む中年の脱北者イ・ソヨンさんが、息子を北朝鮮から連れ出すためにブローカーを雇う。その努力は失敗に終わり、息子は捕らえられ投獄される。
密輸された携帯電話を使って北朝鮮のブローカーと話すイさんの苦悩が深まっていく様子が映し出される。息子は複数の骨折を含む激しい拷問に直面する。食事もとれず、以前の半分の大きさになってしまう。
北朝鮮にいるイさんの母親は、孫が投獄されるという事態に怯え、泣いているイさんに連絡を絶つと告げる。自暴自棄になったイさんは、ブローカーに刑務官への賄賂を託すが、その苦労のかいなく、この映画で最も苦悩するシーンで、息子が収容所に閉じ込められ、脱出する術はないことを知る。
映画は、ソウルの洒落た江南地区にある裕福な留学生のための私立学校、ダルウィッチ・カレッジで上映され、鑑賞した生徒たちは沈んでいた。
アーリャさん(11)は「私たちがどれだけ恵まれた環境にいるのかが分かり、そして彼らが私たちと同じような生活を送るためにどんな苦労をしなければならなかったのかを知り悲しくなった」と話してくれた。
イタリア人の親であるリタ・アンドレティさんは「私たちは世界の正しい側に生まれて幸運だ。だからといってあちら側を無視する言い訳にはならない」と語った。
タマラ・モーヒニー駐韓カナダ大使は「信じられないほど感動的な映画」と述べた。
アカデミー賞を逃す
映画評論家らもこのドキュメンタリーを称賛した。
英紙ガーディアンは「釘を刺すような緊張感」、roberteber.comは「驚きの連続」と評した。米英評サイト「ロッテン・トマト」のスコアは100%で、「最も純粋な形の人道的ジャーナリズム」「最近の記憶の中で特に大胆な映画的ジャーナリズム作品」と評価された。
サンダンス、シドニー、ウッドストックなど複数の映画祭で賞を受け、英BAFTAなど多くの映画祭でノミネートされた。しかし、最も権威のある賞には届かなかった。最優秀長編ドキュメンタリー賞の候補15作品に加わった後、最終候補5作品には入らなかったのだ。
授賞にはサプライズがつきものだが、ノミネートされなかったことに映画業界は眉をひそめた。「ハリウッド・リポーター」は、ビヨンド・ユートピアを今年の「サプライズ落選作品」の一つに挙げ、「バラエティ」は「ノミネートされるべきだった」と書いた。
しかし、3月10日のオスカーナイトを前に、この映画にいくつかの敵が出現した。米国の対北朝鮮政策に反対する団体や個人が、声高に批判したのだ。
非政府組織(NGO)「DMZを超える女性たち(WCDMZ)」は2015年、フェミニストの象徴であるグロリア・スタイネム氏や映画プロデューサー、アビゲイル・ディズニー氏らとともに行進を行い、北朝鮮を訪問し、非武装地帯(DMZ)を越えて韓国に入った。朝鮮戦争の正式な終結と米国の制裁撤廃を求めるこのNGOは、この映画への批判を読み、拡散するようメンバーに呼びかけた。
アジア系米国人の映画製作者3人は、書簡をネットで公開し、2023年に製作されたこの映画を、1945年の朝鮮半島分断に米国がどのように関与したかを説明せず、1953年に休戦協定によって終結した朝鮮戦争の悲惨な殺戮での米国の行動を控えめに表現していると批判した。
3人は、この映画を「アンバランスで不正確」と呼び、北朝鮮の悲惨な経済状況を悪化させているのは米国の制裁だと非難する一方で、北朝鮮の貧困を強調していると非難した。また、キム牧師とノ一家との間の「不平等な力関係」に疑問を呈し、この映画のプロデューサーや、「北朝鮮の自由(LINK)」など脱北者を支援するNGOの登場人物らを党派的だと非難した。
平和活動家のアイリス・キム氏も「デイリー・ビースト」紙に寄稿した「アカデミーがこの非人間的なドキュメンタリーを不採用にしたのは正しかった」と題する論説で同様の主張を展開した。同氏は、白人の映画製作者が、分断が続いている半島を非常に断片的で不完全な映画で描き、西洋の観客に提示したと結論づけた。
WCDMZの創設者クリスティン・アン氏は、多忙なスケジュールを理由に、この映画についての説明を避けた。
この映画の共同プロデューサーの一人であるスー・ミ・テリー氏は、元中央情報局(CIA)分析官であり、その経歴は批評家らから非難されている。
テリー氏は「私たちの映画に批判的な人々は、北朝鮮の体制に同情的なようだが、私たちの同情は北朝鮮の人々に向けられている」と語った。
動力を失った地下鉄
ビヨンド・ユートピアは、新型コロナの世界的感染拡大と封鎖の前に撮影された。
北朝鮮からの脱北者は2020年以降着実に減少しているが、それは北朝鮮の人権が改善されているからではない。フリーダムハウスは「世界の自由2023」報告書で、北朝鮮を「最悪の国」世界ランキングの第3位(エリトリアと並ぶ)に位置づけた。
コロナ危機の間、北朝鮮は新たな物理的障壁や、国境を越えようとする者を攻撃する狙撃手の配置など、国境警備を大幅に強化した。
ロイター通信は昨年、衛星のデータを引用して、「平壌は数百㌔に及ぶ国境フェンス、塀、監視所を新設、あるいは強化したことが商業衛星画像から分かった。これによって、情報や物資を送り込むことが難しくなり、外国のものを締め出し、国民を国内に閉じ込めることが可能になった」と指摘した。
隣国の中国もまた、人工知能(AI)を駆使した強力な国家監視装置をアップグレードしている。
ダルウィッチ・カレッジの上映会に参加したLINKのCEO、ハンナ・ソン氏は、「ノ一家が乗った地下鉄道は今、「侵食されている」と語った。
ソン氏は、コロナ以前、脱北者は「もっと多かった」、だが「今、そのようなネットワークを確立するのはずっと難しくなっている」と述べた。