ローマ教皇 すべての人間は「根本的に善」
By Mark A. Kellner – The Washington Times – Monday, May 20, 2024
フランシスコ・ローマ教皇は20日放送のCBSのインタビューで、地球上のすべての人間は「根本的に善」であると宣言した。これはカトリックの教えに沿ったものだが、他の教会をいら立たせることは確実だ。
87歳の教皇は、CBSニュースのアンカー、ノラ・オドネル氏とのインタビューで「人は生きたい。人は前進する。人は根本的に善である」と語った。20日に完全版が放送され、その前日には「60ミニッツ」で一部が放送された。
教皇は、「私たちは皆、根本的に善だ。確かに悪党や罪人もいるが、心自体は善だ」と述べた。
その声明は、第405段で「原罪は各個人に固有のものだが、アダムの子孫のいずれにも個人的過失の性格を持つものではない。それは本来の神聖さと正義の喪失であるが、人間の本性は完全に堕落しているわけではない」とする「カトリック教会の公教要理」とも一致する。
教皇が教会で実践していると言われる「開放性」についての質問に、教皇は罪の普遍性を認めたが、これがまさにカトリック教会が排他的な団体になれない理由であり、すべての人に開かれた普遍的な組織でなければならない理由だと述べた。
CBSのインタビュー記録によると、教皇は「あなたはすべてにオープンでなければならない。みんなだ。あの誰それは罪人か。私も罪人だ。みんなだ! 多様な性を持つ人がいる。みんなだ!みんな含まれるのだ。私たちはそれをすべて解決する方法を考える。みんなであることを忘れてはならない。福音はすべての人のためのものだ」と語った。
しかし、それはまだ他のキリスト教徒にとっては楽観的過ぎる人間性の見解だろう。
プロテスタントなどは、旧約聖書の「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている(エレミヤ書17章9節)」、また新約聖書の「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており(ローマ人への手紙3章23節)」のような聖句を持ち出し、教皇は間違っていると言う。
カトリック神学者で作家のドーン・エデン・ゴールドスタイン氏によると、人間の根本的な善について、教皇は正しい。
同氏は電子メールで、「カルバン主義者とは異なり、カトリック教徒にとって罪は人間の魂を完全に堕落させ、神の目に忌まわしいものにさせるものではない。神は愛において、最も邪悪な罪人でさえ、彼の中に根本的な善を見るのだ。神は私たちがまだ罪人だった時、私たちを救うために独り子を送ってくださった時に、そのような根本的な善を見たのだ」と述べた。
教皇はまた、オドネル氏が今成長しているカトリックの少女がカトリック教会で「聖職者として参加する」機会があるのかどうかを尋ねた時、きっぱりと否定した。
女性が助祭職に就けるかどうか尋ねられた教皇の答えは、同様に落胆させるものだった。
「それが聖職者の身分としての助祭であるならば答えはノーだ。しかし私が思うに、女性は常に助祭の職位なしに助祭の役割を持ってきた。女性は聖職者の中で、教役者としてではなく、女性として大きな役割を担っているのだ」