ポンペオ、頼清徳両氏、信教の自由の重要性強調 東京で会合
By Andrew Salmon – The Washington Times – Monday, July 22, 2024
台湾の頼清徳総統とマイク・ポンペオ前国務長官は、アジアで信教の自由が失われていることを嘆き、この問題に国際的に新たな焦点を当てる必要があり、共産主義の中国が信教の自由推進の主な障害だと述べた。
東京で開催された「国際宗教自由(IRF)サミット・アジア」で、両氏は22日にこのテーマについて多くを語った。サミットは、米人権団体フリーダムハウス、キリスト教団体「家族研究協議会」(FRC)、ワシントン・タイムズ財団などが主催した。
頼氏はビデオメッセージで、「民主主義の後退」と「広範な侵略」の中、リスクは高まっていると指摘。「自由と尊厳の大切さを再確認しなければならない」と述べた。
頼氏は、民主主義に関する国際的な調査を引き合いに出しながら、日本が表現の自由と信教の自由において完全であることを強調。また、台湾は「信教の自由の標識」であり、「包括性、宗教の多様性、宗教間の対話」を推進していると述べた。
中央情報局(CIA)長官、国務長官を歴任したポンペオ氏は、トランプ政権下で海外での信教の自由が超党派で支持されていることに言及。信仰は人間の本質に深く根ざしているものであり、それを抑圧しようとすることはいかなる政府であれ「不適切」だと述べた。
「米国には二つの異なる政党があり、思考プロセスも異なるが、それぞれが国際的な信教の自由の重要性を深く信じている。米国では信教の自由は党派的なものではなく、人間の尊厳にとって本質的なものだ」
5月に就任した頼氏は、医療や宣教のために台湾を訪れた19世紀のキリスト教開拓者たちによって築かれた絆は、今も強く残っていると述べた。彼らの活動に関連する宗教団体は、国内外で医療慈善活動や災害救援活動を行っている。
頼氏は、このようなつながりは、台湾政府に国際組織との稀有な関係を与えていると言う。
台湾海峡の向こう側では、中国が長い間、民主主義体制の台湾を外交的に孤立させようとしてきたことから、中国の信教の自由は悲惨な状況にあると頼氏は述べた。サミット出席者は、中国がチベットや新疆ウイグル自治区でいかに礼拝所を破壊し、敬虔な信者を「再教育」キャンプに収容し、現地の信仰や文化を根絶するために作られた「共同体寄宿学校」に子供たちを入れたかについて、悲痛な証言を聞いた。
自由な言論
元議会議員で、外交儀礼にとらわれる必要のないポンペオ氏は、中国と台湾の違いについて、毅然とした態度で訴え、「ファンタジーの世界」に生きることはやめるべきであり、台湾は事実上「自由で独立した主権国家」だと主張した。
この発言に中国が強く反発するのは間違いない。中国は、民主主義体制の台湾を、中国本土から分離した省であり、いつかは中国の完全な支配下に置かれると考えているからだ。
「バンドエイドをはがす時が来たようだ」
「(中国の)習近平国家主席は怒るだろうし、飛行機を何機も飛ばして叫ぶだろうが、これまでもそうだったし、これからもそうだろう。いずれは、この確実な事実を認めなければならない」
ポンペオ氏は、中国が台湾を威嚇しても「屈服」しないよう忠告、「台湾は中国本土の人々にとって脅威ではない」と訴えた。
中国は「ナチスですら赤面するような監視国家」だと非難したポンペオ氏は、在任中、この地域のもう一つの自由の象徴であった香港の人々の権利を守ることができなかったことへの悔しさをにじませた。中国政府は、かつてのイギリスの植民地、香港で、人権や自由を奪ってきた。
「私たちはもっとうまくやれたはずだった。米英はもっと時間を稼げたはずだ。全責任は私にある。やればできたと思う」
もう一つの失敗は、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)について中国に責任を負わせられなかったことだ。ポンペオ氏は、新型コロナウイルスを生物兵器とは考えていなかったというが、CIA長官という立場では、中国の研究施設から流出し、その処理がまずかったために、「現代における世界でもまれに見る殺人行為」につながったと分析している。
国務長官として、中国によるイスラム教徒少数民族ウイグル族への弾圧を「ジェノサイド(集団虐殺)」と正式に判断したことについて話すときは陽気にこう語った。
国務省の内部では、「どのように進めるべきか」に関して、「さまざまな熱い議論が戦わされた。私は、あと4年はこの問題に取り組めると思っていたが、クビになってしまった」とおどけた。
ポンペオ氏は、バイデン大統領が就任した後も、国務省の後任者が中国に関して明確な態度を示したことに満足感を示した。
「(アントニー)ブリンケン国務長官が同意してくれたことは非常にうれしかった。ジェノサイドがそこで実際に起きていることを認めてくれた」
普遍的な関心
ポンペオ氏は、信教の自由を推進することは、異なる信仰を持つ人々でも普遍的に関心を持っていることだと述べた。ポンペオ氏は、自分が福音主義キリスト教徒であることを告げ、信仰を実践する普遍的な権利を擁護したとき、カイロの聴衆から敵意ではなく称賛を受けたことを振り返りこう語った。
「彼らはイスラム教徒だったが、私のこと、世界について私が考えていることを受け入れてくれた。彼らは、『私たちは自分たちの信仰の規律を守り、あなた方はあなた方の信仰の規律を守り、私たちはアブラハムの伝統を共有している』と主張していた」
ポンペオ氏は、リベラルなメディアから自分の信念を攻撃されることもあるが、批判を気にしたことはなく、攻撃は褒め言葉だと考えていると語った。
ポンペオ氏は、道から外れたと考えるキリスト教徒を批評することはしなかった。その中にはバチカンも含まれる。バチカンは、中国での存在感を維持するために、中国の教会の指導者層への強い発言権を求める中国政府の要求を受け入れてきた。
含み笑いを浮かべながら、「私がイタリアに来た日、教皇は散髪に出かけていた。だから会えなかった」と話した。
ポンペオ氏は、中国は米国の政策立案者から見て、宗教的権利を認めないだけでなく、さまざまな経済・安全保障上の課題を突きつけていると述べた。中国を「破壊
」しようとは思わないが、政府が国民をどのように扱うべきかについては、台湾の方がはるかに有力なモデルだと語った。
「経済的自由だけでなく、宗教的自由も含めて、自国民にとって何が最大の利益であるかを理解する指導者が必要だ。私は、いつかそこに到達できると楽観している。台湾は、それがどのようなものであるかのモデルだ」