「ミュンヘンの虐殺」のイスラエル人犠牲者を、49年後に初めて追悼した東京五輪の開会式
By Valerie Richardson – The Washington Times – Saturday, July 24, 2021
東京オリンピックの開会式は、1972年のミュンヘン五輪で殺害されたイスラエルのチームメンバーたちを追悼するという歴史を作った。
「ミュンヘンの虐殺」として知られるようになった事件は、49年前、パレスチナ・テロリストグループに11人のアスリートとコーチが殺害されたもので、国立競技場で行われた五輪開会式で犠牲者のために黙祷を行った。イスラエルのナフタリ・ベネット首相は、次のように主催者を称賛した。
「今日、五輪の歴史で初めて、ミュンヘン五輪の開会中にイスラエルを代表した11人のメンバーが暗殺されたことについて公式な追悼がなされた。この重要な歴史の瞬間に拍手を送りたい」。ベネット首相は付け加えた、「彼らへの追悼が祝福に転じますように!」
米国議会のテッド・デッチ議員(フロリダ州選出、民主党)は自身のツイッターで、開会式での追悼について、「あの恐ろしい五輪史の悲劇を振り返るのに相応しい、歴史的だが遅すぎた瞬間だ」と表現した。イスラエル五輪委員会は国際五輪委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長を高く評価した。
イスラエル五輪委員会のイガル・カルミ委員長は声明文で、「国際五輪委員会は今晩、ミュンヘン五輪での犠牲者11人の家族とイスラエル国家の願いをかなえて、五輪開会式の場で犠牲者たちへの追憶をしっかりと伝えてくれた」と述べた。
カルミ委員長はさらに、ドイツ人であるバッハ会長が「東京五輪開会式では五輪運動を記念しつつ、ミュンヘン事件の11名の犠牲者を49年目にして初めてしのびたい、と約束してくれたが、それを実行してくれた。感謝している」と強調した。
同事件の犠牲者の家族たちは長年、IOCに対して、1972年9月5日にテロリストグループ「黒い九月」によって五輪選手村の施設内で人質となり犠牲となったアスリートたちのために黙祷をしてくれるよう要望し続けてきた。
開会式では前もってアナウンサーが、新型コロナウイルス感染で亡くなった人々と、「たいへん悲しい形で私たちを遺して逝かれた五輪選手たちと、五輪コミュニティのメンバーたち全員」に哀悼の意を表した。
アナウンサーはさらに続けた、「特に五輪開会中に命を落とされた方々を忘れません。私たち全員の記憶に深い刻印を押した一団の人々、それは1972年ミュンヘンオリませんンピックのイスラエル代表団です。」
その時の犠牲者2人の未亡人、イラナ・ロマノさんとアンキエ・スピッアさんは、コロナ感染予防で入場が禁じられていた競技場内で式典を目撃することを許されていた。「やっとミュンヘンで殺害された夫・息子・父親たちに正義が示されました」、二人の未亡人は「タイムズ・オブ・イスラエル!」への合同声明文の中で述べた。「私たちは49年間、苦しい闘いをしてきましたが、決してあきらめませんでした。今は涙を抑えきれません。これが私たちの切望してきた瞬間です!」
2016年リオ五輪が開会される2日前に、IOCはバッハ会長の下で、リオデジャネイロ選手村で、ミュンヘン事件の犠牲者を追悼したことがある。しかし五輪の公式行事の中で、殺害されたイスラエル選手団が追悼されたのは今回が初めてだ。
ミュンヘン五輪事件では武装グループが、2人のイスラエル選手を選手村の彼らの部屋で射殺したあと、さらに9人を人質に取って、イスラエル刑務所に拘留されているパレスチナ人の囚人たちを釈放するよう要求し、ドイツ警察とのにらみあいが始まった。その後の24時間に9人のイスラエル人全員が射殺され、テロリスト5人とドイツ人将校1人が、不手際に終わった救助作戦の最中に撃たれて死亡した。
1972年ミュンヘン五輪は8月26日から9月11日まで開会されたが、丸一日間休止されたが、中止されることはなかった。