戦没者墓石に国旗 アーリントン墓地で伝統の「フラッグイン」
By Mike Glenn – The Washington Times – Monday, May 27, 2024
ブライアン・ジュンガ陸軍一等軍曹は22日の夜遅く、アーリントン国立墓地(バージニア州)にいた。
迷いはなかった。23日の早朝、感動的なメモリアル・デー(戦没者追悼記念日)の伝統を守るためにここ戻ってきた。埋葬されている26万人以上の米軍兵士の墓に国旗を立てるためだ。
「知り合いであろうとなかろうと、一緒に従軍していようといまいと、彼らは私の兄弟姉妹なのです。午前3時にここに来て、3時間しか眠れないとしても、私たちはこれをやります。それくらい意味があることですから」
ジュンガ氏は第10山岳師団の一員として、アフガニスタンでの任務に就いた。遠い親戚がアーリントンに埋葬されているが、アフガンで共に従軍した兵士で、ここに眠っている者はいないという。ワシントン郊外の友人らから、知り合いの墓に国旗を立てるよう頼まれたと話した。
ジュンガ氏はワシントン・タイムズ紙に「昨夜はここで旗を立てて回り、写真を撮って友人たちに送りました。僕にとっては、彼らの延長線上にいるような感じがするんです。本当に大切なことなんです」と語った。
メモリアル・デーには、それぞれの墓地に小さな米国旗が、墓石からちょうどブーツ一つ分の距離に立てられる。旗を立てるのは「オールド・ガード」として知られる陸軍第3歩兵連隊の兵士1500人だ。
連隊は、1948年に陸軍の公式式典部隊に指定され、それ以来、毎年メモリアル・デーの直前に「フラッグ・イン」として知られるこの伝統を守ってきた。
23日朝、迷彩服に身を包んだ兵士たちは、まるで敵の陣地を攻撃する準備をする小隊のように、アーリントンのなだらかな丘を登っていった。しかし、リュックサックに入っているのは、弾薬ではなく米国旗だった。墓石の前で立ち止まり、コンバットブーツで距離を測り、旗を土に差し込んだ。
その後、次の墓石から次の列へ、そして広大な墓地の次の区画へと移動した。
クリストファー・アンダーソン二等軍曹も、その中の一人だった。2012年4月、第2歩兵師団の兵士としてアフガンに到着して4カ月後に、簡易爆弾(IED)が近くで爆発し、重傷を負った。アーリントンの墓石の間を歩き、戦死した兵士の名前を読むと、いつも心が痛むとアンダーソン氏は言う。
「私は手足を犠牲にしましたが、彼らは究極の犠牲を払ったのです。ここに来ると学ぶことがたくさんあります」
ジェームズ・フランシス・モリアーティ二等軍曹の墓は、アーリントン国立墓地のセクション60にあり、イラクとアフガンで戦死した多くの軍人が埋葬されている。墓石には、第5特殊部隊群の武器軍曹と記されている。グリーンベレーの隊員だったモリアーティ氏は2016年11月、ヨルダンでシリア人戦闘員の訓練中に死亡した。
モリアーティ軍曹の妹レベッカ・モリアーティ・デービスさんは電話インタビューで、メモリアル・デーは家族にとってまったく新しい意味を持つようになったと語った。家族はテキサス出身だが、デービスさんは現在、墓地に近いアレクサンドリアに住んでおり、定期的に弟の墓を訪ねている。
「今は本当に辛いですが、アーリントンは兄にとって本当に特別な場所だといつも思っています。兄は私がこの世で最も愛した人でした。兄が死んだとき、私の一部も一緒に死んだのです」
デービスさんは、オールド・ガードの任務はメモリアル・デーに深い意味があることを示していると語った。
「人々が『メモリアル・デーおめでとう』と言うとき、そしてメモリアル・デーのセールがあるとき、私はいつもイライラしていました。追悼の日と思いたかったからです」
デービスさんは、兄なら、メモリアル・デーの週末に友人や家族が来たとき、暗い気持ちになってほしくないと思うはずだと語った。
「兄なら、皆がバーベキューをすれば喜ぶはずです。ここに来てビールを飲んで皆と一緒にいたいと思うはずです」
アリエル・ルボーラ二等軍曹は陸軍に入隊して10年になり、1月にオールド・ガードに加わった。フラッグ・インに参加するのは今回が初めてだった。
「式典の様子はいつもテレビで見ていましたが、今、この場にいて、それを体験できるなんて、すごいことだ。墓石に旗を立てるたびに、私たちは彼らと直接つながりを持つことになります。私たちは彼らの歴史を体験することができるのです」
陸軍はイラクとアフガンでの戦争に20年以上にわたって関与してきた。ジュンガ氏が入隊したのは、2001年9月11日の同時多発テロの直後だった。オールド・ガードの若い兵士の多くは、9.11テロのずっと後に入隊した。
「私が陸軍にいた19年間、ずっと戦争中だった。若い兵士らはそれを経験していない。いつ電話が鳴って海外に行くかもしれないという気持ちがどういうものなのかは分かっていない。しかし、ずっと戦地にいた古株にとっては、これは別の意味を持つのです」