パラダイスを夢見るのではなく、より完璧な連合を
By THE WASHINGTON TIMES – – Sunday, July 4, 2021
ANALYSIS/OPINION:米国の国造りは、恐らく完璧な域に達することのない、進行中の実験だ。私たちが誠意を込めたギブ・アンド・テーク――キャンセルカルチャーのアンチテーゼ――で、国造りに取り組み続けることは、私たちの利益になり、名誉にも資することだ。打ち上げ花火が終わり、パレードも、また、終わった今、このことを、心に刻んでおこう。
私たちの輸出品は思想である。それは、常にそうあり続けた。250年近く前の建国以来、米国人の個人の権利の思想や自由の概念は拡散し、世界中の野心的な人々や虐げられた人々の結集点になった。
今では、これらの考え方は、あらゆる方面からの攻撃にさらされている。集団同一性の支持者らは、私たちの個人を下位に置き、司法判断によって家庭や家族に関する伝統的規範を入れ替えようとしている。そして、米国の牧歌的な世界を脅かす社会的再編のアジェンダを満たそうとしている。
現在、検討中のもの――批判的人種理論の教え、警察への資金停止、私たちの過去から歴史的人物を消去すること――は、本当に、ジョージ・オーウェルの悪夢のような事柄である。それらの幾つかは、手段と機会があれば、この偉大な国を、文化大革命時代に毛沢東によって敷かれた道に引きずり下ろすであろう。彼らの動機は、すでに明らかである。
現在、進んでいることは、すべて単なる一過性のものにすぎないと楽観視して、無視することは、危険極まりない。私たちは、一定の切り離すことのできない権利を共通の創造主から授かっている市民なのである。その考えは、1776年に、トーマス・ジェファソンが文章化した時に、先鋭的だったが、今日でも、同じように先鋭的に見える。多くの人が現在、彼らが好む権利をつくり出し、好まない権利を取り去ってくれるよう、国家や裁判所に期待しているように見える。
これが、米国なのだ。すべての命が大事にされる。私たちは、共通の利益と、地理的つながりを有するコミュニティーで構成されている国民なのだ。私たちは結ばれ――少なくともそうあるべきだと言った方がいいのだが――統治されている。政府は私たちのために働き、その逆ではない。これは、ワシントン、アダムス、ジェファソン、ハミルトンら、独裁政治の危険性を生涯研究した人々から私たちが受け継いだレガシーなのである。
今日、ここで声高に叫んでいる人々は、その贈り物を拒絶している。彼らは、平等の代わりに公正を求める。これは、米国流ではない。結果は、担保されない。機会だけが担保されるべきなのだ。私たちは、人間として、また、法の下に等しくあるのであって、状況によって等しく扱われるのではない。なぜなら、私たちの社会は、上方にも、下方にも動くことができ、私たちは、自らの力の中に、状況を良くも悪くも変える力を有しているからである。
私たちは、実際――この世のほかのどこにも類例のないやり方で成功する自由を持ち合わせているのと同じように――失敗する自由も持っている。
「イート・ザ・リッチ(金持ちを食いちぎれ=映画)」というスローガンは、現実となる恐れがある。私たちは、私たちの人生は自分自身の手に懸かっていること、私たちは、自分の運命の主人公であり、英国王、ソ連の寡頭政治、イランの神権政治、ソマリアの軍事指導者の気まぐれに左右されるものではないことを忘れてはならない。建国者らは、この国を造り上げようとした時に、私たちに、楽園ではなく、より完全に近い連合を約束した。私たちの不完全性がいかに深刻なものであっても、風呂の水と一緒に赤ん坊を流して、やり直す言い訳にはならない。学界、メディア、政界の連中は非難の先頭に立っているが、私たち皆に兄弟げんかをさせるようなすごい仕打ちをしている。彼らのやり口には、抱き込まれるよりは、むしろ、誇りを持って、正々堂々と抵抗すべきである。