「1月6日」の国民感情をあおるな
By Editorial Board – The Washington Times – Wednesday, January 5, 2022
バイデン大統領とハリス副大統領、民主党議員らは、6日に米連邦議会議事堂で起きた1月6日暴動を直接体験した人々の話をよみがえらせるようなイベントを主催するなど、この日を「記念日」に仕立て上げようと計画している。浅はかな考えだ。なぜなら、9・11同時テロや真珠湾攻撃と違って、「1月6日」は、将来「恥辱の日」となるどころか、なるべき日でないからだ。
当初から、民主党員や主要メディアは、議事堂での暴動を襲撃、あるいは、クーデターと描写し、1812年の英国軍によるワシントン焼き打ち事件に匹敵すると言いだしかねないありさまだった。彼らの話とは反対に、議会議事堂では、もっと重大な事件が起こっている。その中には、1954年の下院議場でのプエルトリコの独立運動家らによる発砲事件や、1971年のマルクス主義過激組織ウェザー・アンダーグラウンドによる、米政府に対して「交戦状態宣言」を出した直後の爆弾事件などがある。
しかし、民主党員はそういった事件のことは口に出さない。彼らはただ、右派の活動家を危険人物だと決め付けるだけで自身の政治的利益に資するという理由から、1月6日を気に掛けているにすぎない。
前述の銃や爆弾による攻撃とは異なり、1月6日に起こったことは、何百人もの国民が発言権も投票権も失って、国が壊れてしまうと感じた揚げ句――効果的でない、この上なく野蛮な方法で、法を犯してまで、言い分を聞いてほしいと訴えて――数週間の欲求不満が頂点に達して起きた暴動だったのだ。
逮捕された人々の多くは、以前は法を順守し、犯罪歴のない、愛国心の強い人々であり、そのような人々が、表現の最後の手段として破壊行為や暴力に訴えるほど必死だったというのは、悲しいことだ。
しかし、左翼の人々の中には、この一連のまさに不幸な事件から前に進むことを望まない者がいる。
これは、ニューヨーク・タイムズ紙の元日の社説「今や、毎日が1月6日だ」を読めば明らかだ。「想像もできないほど大きな1月6日のトラウマ」を乗り越えようという「気持ちは理解できる」が、「議会襲撃は全米各地で続いており」、「私たちは、国が直面している脅威を軽視することは、やめるべきであり、…それが早ければ早いほど、深刻な危機にひんしている民主主義を救える可能性も高まる」と社説は指摘している。
気が滅入るような、一面的なこのモノローグの筆者は一つの事実を見落としているようだ。つまり、トランプ氏に票を入れた数千万人の国民も、「深刻な危機にひんしている民主主義を救わなければならない」という事実だ。
バイデン氏は大統領に就任した時、すべての米国人のための大統領になり、国を団結させるために最善を尽くすと約束した。国民を二つに分断するという大変な出来事を追体験させることで感情に火を付けることは、悪い結果を招くだけだ。1月6日の記憶を歴史の一ページから消し去るべきだとは言わないが、それを再び呼び起こしたり、「記念日化」したりすべきではない。バイデン氏は、約束を守り、すべての国民を、1人も仲間外れにすることなく支援すれば、成功する。わが国民は、今や――一体となって――可能な限り前進する時だ。