ただ乗り生活は非米国的
By Editorial Board – The Washington Times – Tuesday, November 22, 2022
米国は、「一生懸命に働く人たち」、すなわち、住む所が確保でき、食卓に食物が並べられるだけの資力を稼ぎ出すために、当たり前の仕事をする、普通の男女によって築かれた。今は、こういう個人のかなりの割合が、きつい仕事をやりたがらず――他人の労働に依存して生活することを選んでいる。しかし、それは、米国流ではない。将来の保証は、安易にただ同然でもらえるものは拒否して、国民の労働倫理に対する敬意を取り戻すことにかかっている。
バイデン政権は誇らしげに、パンデミック(コロナウイルス感染症の大流行)後の失業率を見事な低水準、すなわち、10月に3.7%という割合にまで引き下げたと主張している。しかし、触れられていないのは、ただ単に働くのを辞めただけの米国人たちの割合である。先月の労働市場参加率はわずかに62.2%だった。
労働省の報告によると、全国的には、1070万人分の求人枠が埋まっていない一方で、700万人以上の労働年齢の男性が雇用されてもいないし、求職もしていないという。米国のエンタープライズ研究所の学者、ニコラス・エバーシュタット氏は、彼らに「腰抜け国家」というレッテルを付けた。こつこつと勤勉に働いている米国人は、ただ、あきれるだけである。近所に居る怠け者の連中は、給料ももらわずにどうやって、暮らしているのだろうかと。
答えの一部は、虐げられた人たちの家にオオカミが入らないようにするために政府が大盤振る舞いをしたことである。悲しいかな。政府支給の補助金は働く意欲を削ぐこともある。2020年と2021年の国からの借入金、2兆5000憶ドルが、制限なしに配布されたことによって、国民の個人貯蓄率は2倍になった。そして、米国人は、使い切れないほどの新型コロナ救援金も手に入れたからである。人は、貧しくても、金持ちであっても、ただのお金をもらえることは、拒絶し難いものである。
パンデミックが収まっても、何百万人もの人々がオフィスに戻らないことを選んだ――いわゆる「大量離職」である。イーロン・マスク氏が「ツイッター社」を買収し、そして、ソーシャルメディアの巨大大手の半分をレイオフした後、1000人以上の従業員が、「非常にハードコアに(長時間、猛烈に)」に働くという新しい上司の要求を拒否した。代わりに、彼らは大量離職をしたのであるが、米国人はそのありさまをリアルタイムで見守っているのである。
「ツイッター」の本社があるサンフランシスコ市は、個人で保護を受けられる特定の諸集団に、保証収入を提供した。その中には、ミュージシャン、アーティスト、作家、妊娠中および出産後の母親が含まれている。最近リストに追加されたのは、月額1200ドルの奨学金の申請可能なトランスジェンダーの人々であった。いったんは逃げ出したツイッターの従業員は、すぐ、舞い戻れるのだろうか。
伝統ある万引き業で生計を立てているため、給料を必要としない人もいる。ショーウインドー破りの実行者は、今年すでに、6億ドル相当の商品で企業の手間を省いたと、大型ディスカウントスーパー、「ターゲット」は報告している。いわゆる在庫の縮小は、インフレの上昇による売上高の低下と相まって大型小売業者に、今後3年間で、合計30億ドルのコスト削減を余儀なくさせる予定だ。
ほかの企業も同じように苦しんでいる。「小売業界指導者協会」や「バイ・セーフ・アメリカ連合」は、2019年に全国の小売業者から、689億ドル相当の製品が盗まれたと報告した。
「大志」プラス「労働」の答えが、「充実した人生」であるというのは、人間性の公理である。心や体の弱い人は常におり、彼らには慈善を受ける資格がある。しかし、きつい仕事に慣れた健常者は違う。ただ同然でもらえるもので生活するのは米国流ではない。