建国250年、信仰を称えることに高まる反発

2026年5月17日(日)、ワシントンのナショナル・モールで開催された、米国建国250周年を記念する保守系キリスト教徒を中心とした祈りの集い「Rededicate 250」に、ノースカロライナ州出身のドロシーア・オランドとビリー・オランドが到着した。(AP通信/ジュリア・デマリー・ニキンソン)
By Editorial Board – The Washington Times – Monday, May 18, 2026
「建国250周年に向けた新たな誓い―祈り・賛美・感謝」の大規模な祝祭が17日、首都ワシントンのナショナル・モールで開催され、一般の米国人からは大きな支持を受ける一方で、エリート層の“泣き言”のような反発も起きた。
数万人が集まり、祈り、音楽に耳を傾け、人気の論客たちの話を聞いた。各地で行われた地元イベントは、さらに多くの参加者を集めた。
しかし、「政教分離を求める米国市民連合」は、この集会を「キリスト教ナショナリズム」だと批判。USAトゥデイの記事は、「MAGA(トランプ大統領の熱狂的支持層)版の福音派プロテスタントを推進する試み」だと攻撃した。
興味深いのは、登壇者にはJDバンス副大統領、マルコ・ルビオ国務長官、ティモシー・ドーラン枢機卿、そして米国最古のシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)のラビであるメイル・ソロヴェイチク氏など、著名なカトリックやユダヤ教指導者も含まれていたことだ。
建国250周年の記念行事が続く中で、歴史の書き換えもまた続いている。しかし、その修正は精査に耐えない。
最初期の入植者は、マサチューセッツの巡礼者(ピルグリム)や清教徒、ペンシルベニアのクエーカー派、メリーランドのカトリック教徒など、いずれもキリスト教徒だった。独立宣言には複数の箇所で神への言及がある。合衆国憲法の日付には「主の年1787年」と記されており、これはイエス・キリストを指す。
「政教分離の壁」という表現は憲法のどこにも存在せず、トマス・ジェファーソンの私信から抜き出され、後に誤って解釈されたものだ。
(国教の樹立などを禁止する)憲法修正第1条は、政府が宗教に関わることを禁じるためのものではなかった。もし建国の父たちが連邦政府を完全に世俗化しようとしたのなら、なぜ1789年の第1回議会以来、議会の開会が祈りで始まっているのか。なぜ大統領は聖書に手を置いて宣誓するのか。なぜ19世紀の複数の議会が、先住民をキリスト教に改宗させるための予算を計上したのか。
「世俗主義者によるジハード(聖戦)」は、いま進行している文化戦争の一部である。「政教分離を求める米国市民連合」は、農務長官ブルック・ローリンズ氏が今年の復活祭に発したメッセージに宗教的内容が含まれていたとして、農務省を相手取り訴訟を起こしている。
これは、米国の魂を巡る戦いだ。アイゼンハワー大統領はかつて「われわれの政治体制は、深く根ざした宗教的信仰に基づいていなければ成り立たない」と語った。レーガン大統領も「もしわれわれが『神の下にある一つの国家』であることを忘れれば、その時米国は滅びる」と警告した。
左派が「神」に反発するのは、彼らが国民に別の「神々」を崇拝させようとしているからだ。そこには、トランスジェンダー思想、性教育、妊娠中絶の無制限化、所得の平準化などが含まれる。
先人たちの信仰と、進歩主義者の信条は両立しない。もし後者が支配するなら、その時は神にすがるしかないほど深刻だ。


