父親の人種差別は黙認するペロシ米下院議長
By Kery Murakami – The Washington Times – Wednesday, May 5, 2021
米民主党のナンシー・ペロシ下院議長は、父親の故トーマス・ダレサンドロ元ボルティモア市長を非難することを拒んでいる。
ダレサンドロ氏は南軍記念碑の建立を支持したほか、白人が住む地域で黒人への住宅賃貸を拒否するなど差別的慣行をやめず、システミック・レイシズム(制度化された人種差別)を永続させた。
ペロシ氏は、米国で過去に行われていた人種差別への対応やシステミック・レイシズムとの戦いを下院民主党の政策課題の中心に位置付けてきた。だが、今週、自身の父親のレガシー(政治的遺産)に対処するよう繰り返し求められたが、拒否した。
一方で、民主党は黒人への賠償金支払いなど、白人の先祖たちが人種差別に加担したことを認める政策を推進している。
「ペロシ氏が他の人々にそれを要求するのは偽善だ」。こう指摘するのは、保守系ヘリテージ財団のマイク・ゴンザレス上級研究員だ。「ただ、ペロシ氏が“ウォーク(人種差別などに敏感なこと)”になろうとして自分の父親を裏切らなかったことは少したたえたい」
ダレサンドロ氏は1947〜59年にボルティモア市長を務めたが、同市では人種隔離の住宅や学校がはびこっていた。ダレサンドロ氏の市長時代に、最高裁は「ブラウン対トピーカ教育委員会裁判」で画期的判決を下した。最高裁は学校の人種隔離を可能にした「隔離すれども平等」の概念を違憲としたのだ。
ボルティモアは直ちに学校の隔離廃止に動いた。ペロシ氏はそれを誇りの理由として挙げた。
ペロシ氏は2013年、ボルティモア大学法科大学院卒業式のスピーチで、判決が下された日に父親のテレビインタビューを見た記憶を語った。「父は『これは法律だ。ボルティモアでも施行され、順守される』と語っていた」と、ペロシ氏は回想した。「これは本当に重要だった。画期的出来事であり、ボルティモアに大きな意味を持つものだったからだ」
ただ、ジョンズ・ホプキンス大学の政治学教授でボルティモア政治の歴史家であるマシュー・クレンソン氏によると、ダレサンドロ氏は人種隔離廃止を支持していたわけではなかった。
現代の基準のプリズムで歴史的人物の行動を評価しようとすれば問題が生じる。人種に関するダレサンドロ氏のレガシーを評価しようとする場合も同じことだ。
南部州最北部のメリーランド州で、ペロシ氏の父親が隔離政策廃止に反対しなかったことは重要だった。ボルティモア大学学長で1987〜99年にボルティモア市長を務めたカート・シュモーク学長は、こう指摘した。ボルティモアの教育委員会は市長が任命するため、ダレサンドロ氏は南部の一部知事たちのように最高裁判決に抵抗することもできた。
シュモーク氏は、ダレサンドロ氏が当時重要だった黒人政治団体と協力したことを回想した。ダレサンドロ氏は当時の時代背景から判断されるべきだと、シュモーク氏は主張した。
当時の基準でダレサンドロ氏が人種差別主義者だったと捉える歴史家はほとんどいない。だが、現代の基準では、ダレサンドロ氏は“ウォーク”とは見なされないだろう。
ペロシ氏は昨年、連邦議会から南軍指導者の銅像撤去を要求し、奴隷制をめぐる不満への対応を政治の最前線に押し出した。
ペロシ氏の父親は48年、正反対の考え方を持っていた。当時の報道によると、南軍のロバート・リー将軍とストーンウォール・ジャクソン将軍の功績をたたえるために、ボルティモアに新たに建立された銅像の除幕式でスピーチをしたのだ。
ダレサンドロ氏は南軍の英雄をたたえ、米国は彼らを模範にすべきだと主張した。