国際


揺れるヨーロッパ戦線

(2022年3月3日)
 さあ、始まった。しかし、ロシアによるウクライナへの攻撃後のことについて問題は、それが、どこで、いつ終わるかということである。国際協定を侵して戦争に突入した人たちへの懲罰の話は後回しにすることにする。怒りと、仕返しの悪魔らは、ひとたび解き放たれると、再び捕まえて、拘束することは容易ではないからだ。
 世界中の多くの人々が破壊の閃光(せんこう)を目撃するにつれ、記憶に長く残っている認識が再浮上する。弱さの結果として生まれるものが戦争である。しかし、だからといって、こんなふうに、必ずしも、事が進展しなければならなかったわけでもない。 →続き

中国のウクライナ安全保障 核威嚇で侵攻の露と板挟み

(2022年3月2日)
 ロシアのプーチン大統領は、 核戦力部隊に警戒態勢の強化を命じ、ウクライナへの核兵器の使用をちらつかせている。ところが、ウクライナ侵攻でロシア寄りの姿勢を取る中国は2013年に、核の脅威に対して安全を保障するという合意をウクライナと交わしており、今後プーチン氏が核による軍事圧力を強化すれば、中国は難しい立場に立たされることになりそうだ。
 中国共産党の習近平総書記とウクライナのヤヌコビッチ大統領(当時)は13年12月5日、両国を「戦略的パートナー」とし、中国の核戦力で核の脅威からウクライナを守ることを約束する合意を交わした。 →続き

露政権内にほころびか 側近らがプーチン氏に距離

(2022年2月27日)
 ロシアのプーチン大統領は、ロシアを大国にすることに執着し、用心深く、少数の気の合う強硬派の側近らを周りに置いているとみられてきたが、専門家らによると、ウクライナ侵攻の決定をめぐって政権内にほころびが見られるという。
 ロシア専門家のドナルド・ジェンセン氏は、「プーチン氏が目指しているのは、ロシアを、自身をツァー(皇帝)とする偉大な帝国とすることだ」と指摘した。 →続き

プーチン大統領、ウクライナ東部2地域の独立承認を示唆

(2022年2月25日)
 ロシアのプーチン大統領は21日、ウクライナ東部の二つの小さな地域の「主権」を認めることを検討していると語った。米当局者は、ロシアは、独立を主張するこの2地域を「保護」することを口実にロシア軍を派遣する可能性があると警告した。
 プーチン氏は21日の安全保障会議で、ドネツクとルハンスクの親露派住民が承認と支援を「求めている」と述べた。この発言は、ロシアが2014年にウクライナのクリミア半島を併合した際にプーチン氏が行った際の発言をほうふつさせる。また、この発言は、ウクライナとの直接的な軍事衝突や欧米からの経済制裁を回避するための、プーチン氏の妥協点がどこにあるかを知る手掛かりにもなる。 →続き

中国、ロシアを間接的支援へ ウクライナ危機 台湾への圧力強化も

(2022年2月23日)
 中国は、ロシアがウクライナに侵攻した場合、表向きは他国への不干渉という従来の立場を維持しながらも、ロシアの軍事行動を間接的に支援するとみられている。ウクライナ侵攻を受けて、中国による台湾併合への取り組みはいっそう強まる可能性がある。
 中国は4日の中露首脳会談後の共同声明で、ウクライナへの軍事的圧力を強めるロシアを支持することを表明している。また、中国外務省の汪文斌報道官は、21日のロシアによるウクライナ東部2地域の独立承認を受けて、北大西洋条約機構(NATO)の拡大に反対するロシアへの支持を表明、「冷戦時の思考」を捨てるべきだと欧米を非難した。 →続き

カナダ首相の緊急事態は必要か

(2022年2月23日)
 カナダのトルドー首相は、トラック運転手らの合法的かつ平和的な抗議デモ「フリーダムコンボイ」を攻撃しているが、そのやり方は的外れの度を増しており、ネットでは、トルドー氏は、キューバの独裁者だった故フィデル・カストロの隠し子ではないかといううわさが拡散している。
 ネットで見たものすべてが信じられるわけではないが、2人を比較するために並べた顔写真は著しく似ており、親子という言い分も納得できる。1971年の初頭、彼の母親、カナダのファーストレディー(当時)、マーガレット・トルドーさんと、夫のピエール・エリオット・トルドー首相(当時)が行ったカリブ海の島国キューバへの「2回目のハネムーン」中の不倫の産物だと言われている。 →続き

ロシアの隣国への戦争はジョージアで始まった

(2022年2月19日)
 ロシアの隣国への宣戦布告のない戦争は、昨年からのウクライナ国境への大規模な部隊の配備で始まったわけではない。2008年のジョージアへの軍事介入に始まり、2014年にはクリミアを併合した。エストニアの外交トップが16日、こう語った。
 エバマリア・リーメッツ外相は、ロシアによるウクライナへの軍事的威嚇を知っても、特には驚かなかったと述べた。 →続き